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「古き良き」はほとんどそれを言う人の主観的データから出来ている

よく役員メンバーでいく美味しいラーメン屋さんが東中野にあるんですが、味は勿論最高なんですけど店長さんのUX(要するに接客)が素晴らしいんですよね。みたいな話をCDOと帰り道にしていました。このラーメン屋さんのUXの良さと味の良さ(好み)とが相まってこのラーメン屋の相対的かつ主観的な評価は行くたびに上がっていくのです。

反面、JR東中野駅の線路沿いにある老舗の洋食屋さんがありまして、去年店の前で入ってみようか?と役員メンバーと検討していたら店からお客さんが出てきて入ろうか悩んでいた僕たちをみて

ここ美味しいですよ!!

と声を書けられて僕たちは悩んでいたところを大きく背中押しされて入店しました。結論から言えば安くはないという価格帯に対してクオリティの低さにさっき背中を押してくれた人の名前をデスノートに書きたくなったのですが、地元のママ友さんで東中野で幼少時代を過ごしたローカルな人にはとても有名な洋食屋さんだったんですよね。

その人が今その洋食屋に今いったら美味しいって思うんだろうか?という話になりまして、CDOと議論した結果「たぶんなる」という結論に至ったんですよね。なぜなら昔から食べ付けてきた味というものに対する愛着が「美味しい」という表現に内包されてしまっているケースがあるからなんですよ。

幼い頃からマクドナルドを食べてきた人が時々マクドナルト食べたくなるという現象がありますよね。あれは「マクドナルドが美味しいから」という動機ではなくて「マクドナルドにいくとマクドナルドのハンバーガーの味がするということを再確認したいから」という動機なんじゃないかと。あーこれこれ、この味だよ。というヤツです。CDO(名古屋出身)は「すがきや」がそれなんだそうです。僕もいつかすがきや食べてみたいな。誰か名古屋の会社さんお仕事ください(´・ω・`)

また、時系列的にあの頃食べた同じ味のなにかはあの頃美味しかったのであって「今も変わらない味」として売っていたとして、例えばそれがラーメンだった場合に30年前のラーメンと今のラーメンとで比べるとそれは場合によっては違う食べ物になっているレベルで進化してしまっている可能性が高いのですよね。

といったように時系列的情報・記憶と、最新の情報の乖離、プラスそもそもそんなに美味しくなかった(良いか悪いかで言えば良いものではなかった)かもしれないとこで今日の今その変わらない味を食べると「美味しくない」ことがあるのです。

「かわいい」とか「おいしい」という表現の中にノスタルジーなどのパーソナルな情報がかなり内包されていることで、その情報を共有されていない人たちにまったくその「良さ」が伝わらずに本来の魅力が伝わらずに損をしているサービスが沢山ありそうだなと思いました。ということで人に美味しい食べ物屋さんを薦める時はそういうとこ気をつけたいなと思ったのでした。

そんじゃまた。


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テモナ株式会社でSenior Developerをやっています。

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不死身のトキモト

喘息・椎間板ヘルニア・便意と戦う技術系おっさん。技術系はQiitaとかに書いてます。 https://qiita.com/tokifuji
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